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2011-08-31

在日女性、涙の旅立ち

- ニュースUP:在日女性、涙の旅立ち=京都支局・古屋敷尚子 <おおさか発・プラスアルファ> -

 ◇77年の営み、認めてくれなかった日本

 90歳を迎えた1人の在日コリアンの女性が今月上旬、77年間暮らした日本を後にし、朝鮮半島に帰った。国籍を
理由に老齢年金を受給されないのは差別だとして国を訴え、敗訴した後のことだ。支援団体によると、大阪、京都、
福岡の3訴訟の原告計20人のうち帰国した人は初めてという。女性の最後の選択への思いとは--。

 ■「別れはつらい」

 女性は京都市南区に住んでいた高五生(コオセン)さん。離日を2日後に控えた今月8日、利用していたデイサービス
施設で、親しい友人やスタッフら数人と別れを惜しんだ。利用者には在日コリアンが多く、「帰りたくても帰れん人もいる
から」と、にぎやかな催しは高さんが拒んだ。高さんと友人たちは「いつまでも元気でね」と声をかけ、抱きしめ合った。

 高さんは当日の10日朝、親類に付き添われて関西国際空港に向かった。韓国・済州島出身だが、北朝鮮の平壌
(ピョンヤン)で暮らす息子家族を頼って中国経由で北朝鮮に入国する。身の回りの物だけを詰めた小さな手荷物に
家族や友人らの写真数枚を入れた。「みんなにこの年までようしてもらって。私の周りの日本人はみんなええ人ばかり。
別れるのはつらい……。もう日本には戻れんから」。小さくつぶやき、目に涙をためた。

 済州島で5人姉妹の長女として生まれ、13歳の頃に大阪で暮らす父を頼って来日した高さんは、「差別なんて受け
たことはない」と言い切る。言葉通り受け取ってよいのかは分からないが、周囲とはよい関係を築いてきたようだ。

 15歳年上の朝鮮人と18歳で結婚した後、職を転々としながらたどり着いた京都・西陣では、日本人夫婦宅を間借り
した。来日前に学んだカタカナで筆談した夫婦について、「奥さんに頼んで浴衣を着せてもろうて……」と懐かしそうに
話す。

 戦後すぐ帰国する機会もあった。日本の敗戦で朝鮮が独立を回復、「すぐにでも帰れると思った。仲間もバンザイっ
て大いに沸いた」。気持ちは高ぶった。父親や、高さんとともに来日した妹は帰国を選んだ。しかし、戦争中に始めた
鉄回収業が軌道に乗り始め、食べるに困らない稼ぎがあった。朝鮮半島に戻っても生活基盤はない。ためらい、決断
できなかった。その後も、朝鮮へ帰る人を乗せた浮島丸沈没事件や済州島の政情不安などを聞く度、「様子をみて
良かった」と自分に言い聞かせた。

 ■無年金への怒り

 迷った末とどまった日本は、安住の地にならなかった。

 戦後、夫は民族活動に没頭し、家族の生活は高さんの肩にかかった。鉄回収業自体は順調で、職人30人を雇って
いた時期もある。だが、「商売が軌道に乗ると、行政から『立ち退け』って言われた。何度も何度もや」。結局、立ち退き
に応じたことが2、3度あった。

 強硬な姿勢をのぞかせた役所。80歳を超えて、その行政、国と法廷で正面から闘うことになる。04年に無年金訴訟
に参加した。「どうせ(裁判で)言っても(年金は)もらわれへんやろ。それでも、苦しい時代を日本で生き抜いたことを
国に認めてほしかった」と言う。息子は朝鮮高級学校3年の時、制止を振り切って北朝鮮に渡っていた。約40年前に
夫に先立たれてからは1人暮らしだ。それでも70歳を過ぎて生活保護を受け、生活は成り立っていた。参加を決意した
のは同年代の在日コリアンの困窮を知っていたからだ。「お風呂に行くにも子供にお金をもらわなあかん。長年暮らして
税金払うて、どうしてそんな生活をせなあかんのか」

 07年2月の判決日。「小さな期待」が心の隅にあった。しかし、京都地裁は国の裁量権の範囲内とし、訴えを退けた。
「腹が立ってたまらんかった。全く認めてくれないなんて」。高裁でも敗訴し、09年2月に最高裁も1、2審を支持。
約4年にわたる闘いは終わった。

 ■息子を頼って

 いま息子は60歳を超えた。北朝鮮には高さんの孫が3人、ひ孫も3人おり、数年に1度は会いに行く。3年ぶりに
訪ねた今年6月、直前に自転車で転んで車椅子に乗って来た高さんを見て、息子は「面倒見るからこっちに来いよ」
と言った。衰えは自覚している。帰るならこれが最後の機会だと思った。

 京都訴訟の元原告5人のうち1人は死亡、高さんを除く3人は京都で暮らすが、高齢化が進む。元原告の女性に
帰国を告げると「行かんといて」と引き留められた。だが、息子家族と暮らしたいとの思いは断ち切れなかった。敗訴も
背中を押した。「裁判も負けてしもうて。終わったんやな」

 高さんが通ったデイサービス施設で働く鄭明愛(チョンミョンエ)さん(41)は、高さんに訴訟に参加するよう頼んだ
人だ。「控えめなオモニ」の高さんが京都地裁判決後の記者会見で、「本当に腹が立ってたまりません」と初めて憤り
をあらわにした姿が目に焼き付いている。「判決後は相当落ち込んでいた。高齢だし3年ぶりに息子さんと会って、
一緒に暮らしたいという気持ちが強まったのでは」と話す。

 高さんは国籍に関係なく周囲の人を愛し、周りもそんな人柄に引かれてきたのだと、その半生を聞いて思う。そんな
高さんが、失望や怒りを抱えたまま日本を後にした。在日1世の高齢化が進み、無年金のまま亡くなる人は相次いで
いる。この問題を放置していいはずはない。

==============

 ◇在日コリアン高齢者無年金問題
 日本の植民地時代に渡日した朝鮮人は、1952年のサンフランシスコ講和条約発効で日本国籍を喪失した。一方、
61年施行の旧国民年金法は国籍条項で年金加入を日本国民に限った。この条項は82年に撤廃され、86年の改正法
で、国籍条項による未加入期間を資格期間に算入できる措置が取られたが、当時60歳以上の人は対象外となった。
日本国民であれば受給できた年金の相当額の支払いなどを求め、03年以降、大阪、京都、福岡の在日コリアンが
各地裁に提訴。大阪、京都両訴訟は敗訴が確定。福岡訴訟は福岡高裁で係争中。

(*以上です。)

ソース : 毎日新聞 2011年8月31日 大阪朝刊
http://mainichi.jp/select/opinion/newsup/news/20110831ddn013040032000c.html




税金と年金は違うんだが、この記者理解してるのか?




年金を払わない人は年金を貰えない。
当たり前のことだよね?
年金支払い拒否したのも高さん、年金受給出来ないのも高さん。
お得意の「恨」は過去の自分にむけるべき。



たとえ日本人でも年金払ってなければ年金は貰えません。
朝鮮人だからといって特別待遇を求めるのはワガママです。
朝鮮人にはいくつもの選択肢が用意されてました。
選択したのは朝鮮人のあなたです。








>「商売が軌道に乗ると、行政から『立ち退け』って言われた。何度も何度もや

立ち退けと言われた理由も取材してちゃんと書けよ変態新聞
ま、どうせ不法占拠なんだろうが



在日朝鮮人のすばらしい「愛国心」

・ 強制連行されてきた外国人のはずだが、祖国に帰らせろとは言わない。
・ 祖国は日本よりすばらしいと言うくせに、帰ろうとはしない。徴兵も無視。
・ 帰る祖国が存在するのに、帰る場所はないと言う。
・ 日の丸を見るのも嫌な外国人のくせに、日本から出て行こうとはしない。
・ 立派な朝鮮人名を名乗らず、屈辱なはずの日本人名を自らの意思で名乗る。
・ 大嫌いなはずの日本人に、リアルでもネット上でも成りすます。
・ 外国でトラブルに遭うと、祖国の大使館ではなく日本の大使館に泣きつく。
・ 祖国に帰れば参政権があるのに、なぜか先に日本での参政権を要求する。
・ 祖国を良くするための諫言はしないが、日本には内政干渉をする。

・日本は嫌いというわりに日本語で会話し日本語を書いて日本のテレビを見ている
・大嫌いなはずの日本人に普段の生活から日本人風の偽名を名乗って成りすます。
・素晴らしい我が祖国というくせ、石にしがみついたように頑に帰ろうとはしない。
・可哀想な被害者というわりには、60年間、ルーツの祖国に対して
  自分たちは日本に強制連行されたから助けて欲しいと訴えたことすらない
・60年間,本国から同胞に「在日朝鮮人を返せ!」といわれた事すらない
・60年間,日本人に対して、自ら早く帰らせてくれと懇願した事すらない
・飛行機で数時間、フェリーで一万円で帰れる祖国が存在するのに、帰る場所がないと言う。
・海から泳いできたり、指紋まで削ったり、必死すぎるくらい日本に入国したがる
・日の丸を見るのすら嫌というわりに子孫まで作って一向に日本から出て行こうとはしない。



「強制連行された」なんて大嘘!

戦前、日本に不法入国し、日本で犯罪を起こしまくり、日本を混乱させた朝鮮人


『黄金色の洪水と聞いて内地に出稼ぎする朝鮮人労働者の群』 京城日報 1917/7/18夕 〔3/1〕 全国 ・ 【渡航】
『内地へ来る出稼鮮人を釜山辺りで喰止める/想像しているやうな好い生活の出来ない旨を言ひ聞かせて』 大阪毎日 1922/5/19 夕 〔2/1〕 大阪・大阪 【労働】
『内地へ渡航する鮮人労働者の為めに/釜山に労働共済会を設立』 京城日報 1923/4/24夕 〔3/7〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『内地渡航鮮人の不評は自業自得/同胞を毒する不逞輩/内地から帰つた鮮人の講演』 京城日報 1923/5/25 夕 〔2/2〕 ・全国 【社会】
『白衣の労働者が十余万人渡来/渡航が自由になった為/早くも邦人と確執』 芸備日日1923/5/6 〔〕 ・ 【渡航】
『当分の間鮮人労働者/内地渡航禁止さる/反つて路頭に迷ふからと六日から渡航禁止』 京城日報 1923/9/8 夕 〔3/5〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『釜山に立往生する数千名の労働者/渡航制限の撤廃方を/釜山の鮮人有志から陳情』 京城日報 1924/5/26 夕 〔2/8〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『千人のうち半数はあてもなく渡航/下関で調べた鮮人労働者/大部分は文なし鳥』 京城日報 1925/10/27 夕 〔5/6〕 下関・山口 【調査】
『無鉄砲で内地へ渡航する朝鮮人/就職口も金もなく途方に暮れる』 京城日報 1925/10/3〔3/8〕 大阪・大阪 【渡航】
『網に掛つた七百名/内地渡航鮮人労働者の取締』 京城日報 1925/10/31 夕 〔6/7〕 釜山・朝鮮
『無方針の鮮人が内地に恋して/一文なしで渡航する/憬がれの白い米の飯』 京都日出 1926/3/17 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『密航者七十余名が/釜山に送還さる/警察で保護を加へ/渡航或は帰郷さす』 大阪朝日1926/4/20 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮

http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~mizna/shinbun/shinbun.html

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