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2011-08-31

市民団体が自伝・日記・証言など堀り起こし 衝撃の目撃証言



■市民団体が自伝・日記・証言など堀り起こし 衝撃の目撃証言 都内24カ所分類



1923年9月1日の関東大震災時の同胞虐殺を見聞きした当事者の証言を集めた『東京下町フィールドワーク資料』(A4版79㌻、写真)が

このほど完成した。事件から88年経ち、いまとなっては新たな目撃証言を得るのは難しいだけに、真相に迫る貴重な手がかりになりそうだ。

荒川河川敷で毎年9月、関東大震災時に虐殺された同胞の追悼行事を行っている市民グループが編集した。



出典は同資料を発行した市民団体がこれまで集めた聞き取りや当時の自伝・日記・証言集・新聞掲載記事など。

会の中心メンバー、西崎雅夫さんが都内23区の図書館を中心に3年がかりで関連する記述を掘り起こし、1年かけて出版にこぎつけた。

苦労して掘り起こした証言資料は都区内の虐殺現場24カ所に分類した。



墨田区の「旧四ツ木橋周辺」では荒川放水路開削工事に従事したり、街中の工場で働いていた多数の同胞が犠牲になった。

ここでは40人以上の人たちの痛恨の目撃証言が集められている。



「荒川駅(現八広駅)の南の土手に連れてきた朝鮮人を川のほうに向かせて並べ、兵隊が機関銃で撃ちました。何人殺したでしょう。

ずいぶん殺したですよ」(聞き書きから抜粋)



犠牲になったのは同胞だけではない。「どもりの日本人が間違って殺されました。当時は『十五銭』と言わせていましたが、

つまって言えなかったんです。子どもと女の人が泣いているので聞いてみると、そう言っていました。体に鉄砲の穴があいていました。

自警団がやったものです」(同)



なかには同胞のため、日本人が体を張って命を救ったという目撃談もある。1923年9月2日、墨田区の向島百花園裏で小倉常吉さんは棍棒や竹槍、

日本刀などを手にした殺気だった50人ほどの自警団を前に、「うちにいる朝鮮人はそんな悪いことをする人間では絶対にない。それは私が保証する。

私が責任を持つからお引き取り願いたい」とかばったという(『小倉常吉伝』同刊行会・1977年)




西崎さんは『資料集』を編さんした意図について次のように語る。

「事件の目撃者が『自分が住んでいる地域は(朝鮮人の虐殺現場で)うかつには歩けない場所なんだよ』とよく言っていました。

少しでも多くの人に事件の実際を知ってほしかった。

そして、すぐ隣にいる在日韓国人がどんな気持ちで生活しているのかについても思いを馳せてもらいたかった」



(*以下略、ソース参照。)



(2011.8.31 民団新聞)

http://www.mindan.org/shinbun/news_view.php?page=12&category=2&newsid=14798




前スレ ★1の投稿日2011/08/31(水) 17:14:00.23

http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1314783997/











■1905年頃のジョージ・ケナンの証言①②





日本から朝鮮に行った旅人が最初に驚く事がある。

日本の清潔、秩序、勤勉、繁栄に対して、

朝鮮の不潔、混乱、怠惰、荒廃との間の激しい違いである。





韓国人の大部分は2つに分類される。

大袈裟な事を言う人間。 

恥を知らずに、平気で嘘を言う人間。 

この2つである。

これは遺伝と教育が原因だ。 

だから韓国人が話す「日本人の悪行」を信じるな。

充分な検証が必要だ。








一般的には「関東大震災のときの朝鮮人の暴徒化や略奪、強姦、放火とのデマがあった」と言われているが、全てがデマだったわけではない。



確かにデマもあったが、デマではない事実もあった。



デマの代表例とされるのは「井戸に毒を入れ~」というものであり、このデマを流布した首謀者は、時の警視庁官房主事で後に読売新聞社主となる正力松太郎と言われている。



警視庁官房に集まっていた各新聞の記者が、警視庁官房主事だった正力松太郎の話を鵜呑みして記事にしたことによってデマが広がったとのことだ。



そして、これら様々な話がデマだと最初に言い出したのは、後藤新平内務大臣兼帝都復興院総裁だ。








今日ボクが見た風景





後藤新平



工藤美代子著「関東大震災『朝鮮人虐殺』の真実」によると、後藤新平は「正力君、朝鮮人の暴動があったことは事実だし、自分は知らないわけではない。だがな、このまま自警団に任せて力で押し潰せば、彼らとてそのままは引き下がらないだろう。必ずその報復がくる。報復の矢先が万が一にも御上に向けられるようなことがあたら、腹を切ったくらいでは済まされない。だからここは、自警団には気の毒だが、引いてもらう。ねぎらいはするつもりだがね。」と正力に語り、正力はあえて風評の打消し役に徹したという。



したが
って、関東大震災の時に言われたり報道されたりした朝鮮人の悪行の中には、デマ(風評)もあったが、事実もあった。



雑誌「
SAPIO」に1年余りに渡り連載されていた工藤美代子著『関東大震災-「朝鮮人虐殺」の真実』は、加筆・訂正を加え、2009年12月2日、産経新聞出版から新刊本として発売された。



同書では、1923年(大正12年)の関東大震災時にあった「朝鮮
人によるテロ行為や日本人襲撃」や「日本人による朝鮮人虐殺」のそれぞれの事実について、多数の資料・新聞記事などから検証している。



当時の内務大臣・後藤新平が「朝鮮人襲来報道」を抑えた理由や、後藤新平の命を受けて奔走する警視庁官房主事・正力松太郎の姿などが、文献や関係者の証言から伝えられる。



次のブログで、その「SAPIO」の上記連載について一部を紹介している。







雑誌SAPIOで「本当に有った関東大震災における朝鮮人による暴動・破壊・放火」について

昨年から連載中ですが、量が膨大で中々まとめ切れていないので、ネット上から集めた当時の

新聞記事を集めてみました。

SAPIOの資料、証言を読んでもとりあえず言えるのは、



 「少なくとも横浜~品川において朝鮮人による暴動破壊活動は有った」



という事です。ネット上から集めた当時の新聞記事です。







今日ボクが見た風景





横浜から品川方面へ朝鮮人の集団が刀や爆弾を持ち、暴れまわって婦女を強姦していた

という事実を追求して行くとこの騒動の実態が見えると思われます。

詳細に追求中です。







今日ボクが見た風景




今日ボクが見た風景



横浜から品川方面へ朝鮮人の集団が刀や爆弾を持ち、暴れまわって婦女を強姦していた

という証言は間違いなく存在します。

何も無ければ記事になる事は有りません。







今日ボクが見た風景



一連の調べで習志野と江東地区で間違いなく不穏な動きがあった事は間違い無いと思われます。

この記事もその証拠の一つです。

「震災で泣き叫ぶのを聞いて革命歌を歌っていた」と言うのが、いかにもアカ極左の

行動を的確に捉えており、当時から大バカ野郎だったというのが認識出来ますね。


今日ボクが見た風景




司法当局が朝鮮人の犯罪を報道する事を規制し圧力を掛けた決定的証拠。

10月20日、ようやく自由報道が解禁され、真実を記載し始めた。

幾多の報道されてきた犯罪は事実であると、

さらに下には四ツ木で朝鮮人が少女を輪姦した上に殺害し、

荒川に放り投げ逃走したという恐ろしい記事が書いてある。


今日ボクが見た風景



日本橋の倉庫に朝鮮人が火を放って逮捕。 深川の食糧倉庫が時間を置いて火が立った

のも朝鮮人の同時多発テロだったと言う事を裏付けるひとつの事実である。


今日ボクが見た風景









どんなに 被害者になろうとしても


歴史は それを 赦しませんよ






朝鮮人に殺された 日本人が 許しませんよ






当時の日本人が 当時の朝鮮人を どんな目で見ていたか


朝鮮人こそ よく わかっているでしょう?






恨み言の一つも 我が子に教えることもせず


日本の親は 子供の心に きたならしい鬼を住まわすことをしなかった


おかげで 子は正直を美徳とし 謙虚さを身に付けた








現在の 捏造し嘘をつくことが唯一の自衛と思い込んでる卑しい子孫の話を


現在の日本人が 信じるとでも 思っているのですか?






嘘でしか救われない 惨めな道を選んだ 恥知らずな 生き方を選んだ


それは 日本のせいじゃない あなたたちが 選んだ 生き方であり




それが あなた方の世界です

















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